この辺りで、少し一度きりをつけます。(倭、伯耆の国倉吉は引き続き探って行きます)。

出雲大社に祀られている大穴牟遅命(おおなむちのみこと)は、出雲神族(準王一族)の王である長髄彦(ナガスネヒコ)の別名。

天穂日(アメノホヒ、徐福一行の男子)は、統治の為出雲の国に行きますが、出会った準王を、
それまで可愛がってきた大国主にちなんで、大穴牟遅(おおなむち)と名づけました。

それ以来、出雲神族(準王一族)の王は代々、大穴牟遅命と呼ばれてきた。

出雲大社に祀られている大穴牟遅命は、
少彦名や須勢理姫とともに西日本の各地に新しい農業を教えた大国主命ではない。

大穴牟遅命は代々、出雲神族(準王一族)の王の通称。

出雲大社に祀られている神は出雲神族(準王一族)の歴代の王です。
これで行くと、出雲の国も藤原氏と同じ半島の同族で、
不比等らは悪く見せないように神聖なテーマパークとして出雲大社を造り上げた。

祀られていますが、
スサノオも大国主も出雲大社には、関係がなくなります。
出雲の国では無く、伯耆の国。

ここが、ごちゃごちゃっとされている、オオナムチは大国主の別名とか、あやふやな言い方をしていて、皆が混乱するところ、理解しづらい。

大穴牟遅は大国主ではない。

スサノオと大国主は、ご先祖の家系。猿田彦は縄文人達。

本来の目的はイザナギ(高等生命体)より託された、移民を受け入れ稲作(農業)をし育児、食育をし人口を増やすためで、それを各地に広めて行くこと。

倭国はスサノオ族と、渡来人の徐福達(秦民族ユダヤ)と準王一族を受け入れた交配の地、国を造るため、人口を増やすためにしていた。
神話の国造り。

蘇我氏を、ご先祖の家系に入れていましたが。
倭国の天皇の子孫だから。

高等生命体の子供たち、スサノオ族、大国主、蘇我、物部、平家
(天皇家以外の勢力)高等生命体の子供たちはこちら、日本人以外の男性がどう進化するかを見る為に、人間の男性に引き継がす為、

ヒミコさんスサノオ族が地ならしをして、
秦(ユダヤ)の民、徐福(アマテラス)を天孫族とし、
ユダヤの別(偽り)の天皇家を造り上げた。

モーセ(ユダヤ)とスサノオ族の流れが神武天皇ですが、卑弥呼、13代武内宿禰辺りまでの天皇は高等生命体とモーセ(ユダヤ)の家系。
だから今の天皇も、伝承としては古代ヘブライ語で、祝詞(のりと)をとなえる

その後、徐福の秦人とそれを操り、背乗りしてきた半島百済の藤原氏が、偽りの天皇家、平安貴族として表に出ている。

裏に徹したことを良いことに、それまでのスサノオ族の神社を、改ざんし、
自分たちの八幡神社を沢山全国に造り上げ、仏教を取り入れそれまでの民間信仰のスサノオ族神社を、取り込んでいきました。

江戸時代も、
日本の本当の古代史や八幡神社の機能を知ったあの徳川光圀(水戸黄門)は、
八幡つぶしをしている。
徳川光圀が矛盾を指摘していたので邪魔になり、藤原氏が放火していたりする。焚書・放火の好きな藤原氏。

結局今まで続いている実権の取り合いは、高等生命体、スサノオ族、本当の天皇は裏に入りましたが、

その子孫、蘇我、物部、天武天皇(倭、伯耆、出雲族、青色)勢力と

VS

秦人(アマテラス)、倭国のっとり百済藤原の(赤色)の勢力の、天智天皇以降、
実権の取り合いを現在までしている。

徐福(天孫族、ユダヤ)、を後ろで操る半島藤原氏、源氏。

このあと皆さんのよく知る、
蘇我氏、聖徳太子、中臣鎌足、中大兄皇子、藤原氏が出てきますが、小学校の教科書ではテストの問題として暗記させられるほど皆さんの脳に入れこまれます。
改ざんされた内容を教わることになっています。
これが日本の教育の実態です。

皆さんのよく知る小学校で習った大化の改新、最近の教科書からです。
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聖徳太子は天皇を中心とした国を目指し、豪族の力を弱める政治を行いました。
しかし622年に聖徳太子が亡くなると、蘇我氏がふたたび強い権力を持つようになりました。

643年に蘇我馬子の蘇我蝦夷と蘇我入鹿が、聖徳太子の子(山背大兄王をおそって自殺させ、聖徳太子の一族はほろぼされました。

 山背大兄王とライバルだった中大兄皇子、中臣鎌足らと協力して蘇我氏を倒そうと計画しました。

そして645年、飛鳥の宮中で蘇我入鹿を暗殺しました。追いつめられた蘇我蝦夷は、館に火をつけて自殺しました。これを乙巳の変といい蘇我氏はほろびました。

このあと中大兄皇子らは唐を、ならって天皇中心の国づくりを目指します。これを645年に始まった大化の改新といいます。

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この蘇我氏がねじ曲げられています。

倭建命、卑弥呼、によって国内、半島を統一した後に、倭国13代武内宿禰(たけのうちすくね)大王は、子供をもうけます。
ここの舞台も伯耆の国です。

●波多八代宿禰(はたのやしろのすくね)
 波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖。

●許勢小柄宿禰(こせのおからのすくね)
許勢臣(巨勢臣)・雀部臣・軽部臣の祖。

●蘇賀石河宿禰 (そがのいしかわのすくね)
 蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣の祖。

●平群都久宿禰 (へぐりのつくのすくね)

 平群臣・佐和良臣・馬御樴連の祖。

●木角宿禰 (きのつののすくね)
木臣(紀臣)・都奴臣・坂本臣の祖。

●葛城長江曾都毘古(かずらきのながえのそつびこ)
玉手臣・的臣・生江臣・阿芸那臣の祖。

など有力豪族の祖を生みます。

蘇我馬子(そがのうまこ)大王の始祖は、
三男王子の、蘇賀石河宿禰でした。

これで、倭国の天皇=武内宿禰=その子の子孫が蘇我氏。

 朝鮮半島から亡命してきた百済人たちは、倭国の下僕として仕事をもらい、飛鳥や奈良で働いていました。

しかし、百済人の中臣鎌足や天智天皇(中大兄皇子)は、

蘇我馬子大王の子供である、
蘇我入鹿(善徳、聖徳太子は同一人物)大王を殺しました。下僕の天皇殺しです。
そして倭国乗っ取りを計画、倭を背乗りし、天孫族を取り込み側で操ることになっていきます。
★★★★★★★★
背乗り(はいのり)とは、工作員や犯罪者などが正体を隠すために、実在する赤の他人の身分・戸籍を乗っ取って、その人物に成りすます行為を指す
★★★★★★★★★★★★
鎌足の子の藤原不比等も、
蘇我馬子の孫である天武天皇、高市大王、忍壁大王、穂積大王を暗殺した。

倭国の蘇我入鹿大王の子、天武天皇の皇居は倉吉市の賀茂神社。

学問の神様としてよく知る菅原道真は、倉吉市北野出身。
今年の2月に旅行で私の意思とは別に上司の誘いで、大宰府に行った事も導かれたようです。繋がってきました。

菅原は、蘇我原と解することができるので、菅原氏は鳥取県中部に居た蘇我氏の子孫。

また母の伴氏は、鳥取県に居た大伴家持の子孫である。

不比等による暗殺

 天武天皇の壬申の乱から10年の間に20人の天武天皇の腹心が謎の死を遂げている。

首謀者は不比等か持統天皇である。不比等と持統は影で食事に毒薬を混入させた。

669年父の鎌足が殺害された時は不比等はまだ11才であった。
鎌足の子3人は天武天皇に引き取られたました。

不比等は権力者を徹底的におだて、天武天皇腹心の部下も不比等を信用していきます。

天武天皇の人気が上がれば上がるほど倭国を乗っ取りたくなり
鎌足と同じ道を行く。

壬申の乱で手柄のあった天武天皇の腹心の部下を次々と暗殺(毒殺)していった。仕上げは天武天皇でした。
 
天皇になった天武天皇の皇子も毒殺していった。権力のためには手段を選ばなかった不比等。

 
天武天皇はどうしたのでしょうか、頭は良いし、勇気もあるし、人望も厚いし、実行力もあるのだが、人が良すぎて疑うことを知らなかったのか?

一時全国の牢獄が空になったくらい恩赦をしていようです。

不比等を疑って殺していたなら、日本の歴史は変わっていたかもしれません。

天武天皇にとってはみんないい人。

倭王朝の天皇は概しておおらか。

日本書紀では天武天皇の条は改ざんが少ないと思われます。

不比等らも天武天皇には敬意を払っていたようです。

今それこそ明後日でも、小学校では、蘇我氏は豪族扱いで、藤原氏が正義かのように、後に日本の国造りをする授業を受けます。

私の昭和の教育もそうでした、
藤原氏すごいやん!
誰もが知ってる藤原氏です。
教科書では暗記させられるほどの人物。😡

やるな朝鮮工作員。

現政権が吉野ヶ里や八幡神社を大事にするのはそのため。

聖徳太子=蘇我馬子の子供、蘇我善徳=蘇我入鹿。

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