神武天皇まで

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宮崎県高千穂町
高千穂宮では生贄が行われます。生贄をするのは準王一族(鬼八)であり、天孫族(ニニギなど)には生贄の風習はないそうです。
高千穂宮は天孫族の神社ではなく、天孫族に敵対していた準王一族の神社。

天孫とは、天照大神の孫という意味であり、ニギハヤヒもニニギ、二人とも天忍穂耳の子だから天孫という。
降臨とは、神が高い所(蒜山高天原)から低い所(北栄町大島周辺=葦原中津国))に行くことを意味した。

宮崎県、ここには天岩戸の地も有ります。これだけ神の土地なのになぜ、神武天皇は、他所の土地に目指して行かなければならないのか不思議です。
選んで神、天照の孫が降りてきたのです、その土地を捨ててまで、奈良を目指さないと思います。

それに出雲と離れすぎています。国譲りがあったのだし、出雲と近い土地でないと辻褄があって来ませんね。
成り立ちのわからない不比等か、藤原氏が自分達百済の一族を、天皇一族と関わりを持たせたかった為。
九州の日向に百済の一族が居た為、そこにそれらしき施設を作りあげた。
後に、九州の地から一族を奈良に呼び寄せている。

作り話なので、いくら現代人が話をしてたところで、結論は書物を否定しないと出ない。

そもそも学者が真実を知ろうとしていない、曲げない、圧力が有るから尚更かもしれません、脅し、考えられない事が起こっていると思います。
今見ている政治も、国民には優しく無いです。今に始まったことではないのか?😅

過去=今。同じことが行われていると考えた方が、あ〰️ぁ!としっくり来ます。

何かの意思が働き遥か昔、百済の鎌足、不比等が日本に居着いてかき回しているとしたとき。
=今の鎌足、不比等が誰でしょう。帰化した朝鮮の子孫たち。日本の国民が望んでいるのに妨げている反論しか言わない政治家、野党。メディアも国会も、、
創られた、あるストーリーに沿ったお芝居は、見る気がしません。😭

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元に戻しますね😅
朝鮮半島、海流、伯耆の国(ほうきのくに)の位置、出雲国、イザナギの那岐山、因幡の白兎、呼びながセンの山々、そして天孫降臨から神武天皇たちが行動している範囲も伯耆の国から、伯耆の国に戻って即位している。
神の国から神の国で終結して、初代天皇から29代までの皇居が伯耆の国に存在しているとしたら?。
そうです!神の土地をそうそう離れることは考えられないと思います。

神武天皇の後に出てくる、
高等生命体の卑弥呼たちの神道(道徳)は、宗教は教えていない!のと、

中国、百済から(ヒンドゥー、儒教など混ざった仏教(密教)を持ち込み、
宗教(人々の信念や振る舞いを方向づけるものとして、人間が作った仕組みが宗教)
を信仰している、宗教は支配するための道具なので、道徳と違い、受け皿が小さいため他を受け入れられない。🙉🙉🙉

奈良に移るのは、ヤマト政権が東を統一するのに適していたのと、藤原氏が天皇の土地(倉吉)では都合が悪いため、新たにまずは奈良そして都を秦氏から提供してもらい京都へ造っていった。

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ニニギは「この地は朝日が直に刺す国、夕日の火照る国」と言ったので、日向御子というあだ名をつけられた。
日向とはニニギが降臨した地のこと。

ニニギは成人になるまで、矢送神社と楯縫神社で過ごしたが、どちらも日陰であり日照時間も短いところで、
上種の大宮神社に移ってから日当たりが良いので「この地は朝日が直に刺す国、夕日の火照る国」といった。

四王寺山も楯縫神社より海側にあるので日向の地。
鳥取県北栄町上種の大宮神社も
神武天皇たち4兄弟が育った四王寺山も日向であった。

神武天皇たち4兄弟は日向の四王寺山を出発した。最初の目的は九州の蝦夷の平定。

倭国(鳥取県中部)にとって九州は半島に渡るために重要な場所であったから。
後の、卑弥呼や日本武尊も九州平定に行っている。
一度渡る前にいろいろ整える場所として北九州に滞在するため、倭に従う国(倭奴国)として、北九州に大きな遺跡がある。

後は前回書いた感じで、九州平定して、伯耆の国まで帰ってきたら、準王一族のナガスネヒコが占領していて、戦いになり、一度退くことに成ります。
そのときは兄イツセが、矢を受け智頭町(木国)で亡くなって、津山、総社、経由で南下して福山で体制を整えながら、準王一族を倒していく。この辺りイワレヒコの伝説が多い。
準備が出来たところで再度岡山側から、
(高倉下が剣を神武天皇に献上した地は、
岡山県赤磐市の石上布都魂神社)
岡山県の旭川を北上して高天原(蒜山高原)に登り、

〇高倉山、
〇男坂・女坂。黄泉平坂で、上神まではなだらかな坂(女坂)であるが、上神から蜘ヶ家山に上がる坂は急な坂(男坂)になる。男坂・女坂は黄泉平坂であった。四王寺山の近くにいた男軍・女軍とイワレヒコは旧知であり、男軍・女軍はすぐにイワレヒコの軍に降った。
〇石上
〇忍坂邑
墨坂、長和田集落に国譲りで退いた出雲族(事代主と百八十神)がいた、兄磯城・弟磯城は事代主と百八十神の子孫。

〇吉野
〇城田
〇伊勢。琴浦町伊勢野から海岸まで
伊那佐山(茶臼山)で敵情を視察し、土下山から赤土をもって下ろさせた。

〇天香具山。
北栄町の土下山 土下山は国譲りの「いなさの小浜」のあった北栄町の茶臼山に面しており、砂浜(中洲)でつながっていた。ニギハヤヒが降臨したのも土下山。天孫族は国譲りの交渉で何度もこの山を通っている。ニギハヤヒと結婚した長髄彦の妹の登美夜須毘売も土下山にいた。
〇丹生の川上・宇陀川の朝原
〇母木邑
〇磐余邑 。
神武天皇(イワレヒコ)
磐余彦の兵が天香具山(土下山)にあふれていたので磐余邑という。

〇橿原宮
倉吉市大宮集落 大宮集落の近くにある久米や弓削の地名はヤマト王権に属する部族がいた集落で、岡山県の久米郡にも大宮と弓削があるが、倉吉の弓削は大宮のすぐそばにあり、
大宮には垂仁天皇より初期の天皇が居た。
この橿原の地は国の奥深くにある。30人の天皇の皇居のなかで一番山側(奥)にある。日本書紀の記述と一致する。

これで神武天皇が、伯耆の国倉吉で即位する。お疲れさまでした。😆

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