国譲りは、終わっていますが。古事記の話として、神武天皇までの鳥取県の場所と神扱いでは無く、人間同士としての理解。

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第1次の徐福一行は米子市陰田町に到着し東南の大山(だいせん)に連れていかれました。
イザナギの宮殿や銅色の龍形の使者がいて、光が天を照らしている(光上照天)のを見ました。

イザナギは少年少女と、さまざまな分野の技術者を献上せよと徐福に言い渡す。

イザナギは、徐福(アマテラス)一族を住まわす為、葦原中津国を造らせる。

イザナギは、迎えるために蒜山高原より倉吉市の新宮神社に来ていた。
イザナギの嫌っていた黄泉(黄泉→津)比良坂は、黄泉国(鳥取県倉吉市不入岡)

第二次で着た徐福にイザナギは治める国を言い渡す。
また、​​一族をここ(葦原中津国)で育てるよう指示した。​​

徐福(アマテラス)は高天原に上がった。
高天原は(蒜山高原)
蒜山高原にはイザナギ、旧石器・縄文人の神々もいた。​(神と言う言葉にした)

スサノオ族は葦原中津国から、蒜山高原に上がり、
徐福に、敵ではない‼️イザナギの子供だと、(うけい)言います。

そして徐福達を追い、
海原(倉吉市中心市街地)の近くの三朝町山田(ヤマタ)に住み着いていた、始皇帝の家来たちを倒しておいたよ❗️と報告してから、天叢雲剣を徐福に渡し、

スサノオは稲田姫とその両親と、天穂日とともに、
鳥取県智頭町(木国)の那岐山に帰っていたイザナギを追い、
近くの鳥取県八頭町大江郷に住み、稲田姫と大国主を生んだ。
大江神社には、祀られている神が、日本一多いと説明されています。スサノオ族が、繁栄したのでしょう。主は大己貴命、天穂日命、三穂津姫命三神。

徐福は、鳥取県河原町の霊石山と氷ノ山に仙薬を探しに行っています。(霊石山には白兎の子孫がいるらしく伝承が残っている、徐福の一行は白装束🐰)。

徐福が、スサノオ族から縄文文化、神道(道徳)、仙人の薬など学び
なんやかんやしてる間に、 ​
半島から紀元前194年頃、準王一族(出雲族)が鳥取県中部を占拠したので、
徐福は蒜山高原から降りて、
平原(琴浦町の伊勢野・鈴鹿野・斉王野・方見邑)と、広沢(北栄町大島周辺)
に陣取った。
 

殷王朝末裔の、箕氏朝鮮の準王一族(因幡の白兎伝説における大国主の兄の八十神)は、
徐福たちより16年遅れて出雲国(いずも)、伯耆国(ほうき)、因幡国(いなば)に到着しました。

琴浦町の、方見郷には(建御名方、出雲族)、
北栄町の葦原中津国には(事代主、出雲族)が住んで居ました。
大国主と2人は親子ではありません。

●イザナギが亡くなってから、スサノオは倉吉市(根国)の清熊稲荷神社の峰(哮峰)にスセリヒメと住んだ。

大国主がスサノオから試練をされたのは根国(黄泉国)は鳥取県倉吉市であった。

大国主はスセリヒメを背負って黄泉比良坂の麓(不入岡)から宇大神山に逃げた。
そして国を造るために葦原中津国に、向かいます。

徐福の(アマテラス)、国譲れ編‼️

スサノオの子の大国主が、
完成させた葦原中津国。そこには、大年神や兄の八十神(準王一族=出雲神族)と一緒に多くの妻子を住まわせていました。

大国主はスセリヒメと住み、
少彦名(雲南省出身)とともに、全国の国造りをしていた。
 

徐福は連れてきた少年の天忍穂耳に、葦原中津国の様子を見てこいといい、関金町耳から船で、子供のニギハヤヒと一緒に哮峰に到着します。
スサノオ族は、この時十種神宝をニギハヤヒに与えて東山神社に移ります

哮峰にいたスサノオ族は、一緒に国造りをしていた少彦名(中国人雲南省)が居なくなったので困って居たところに、天忍穂耳が来ます。

国を造るのに、大国主に協力してくれるよう天忍穂耳に頼みました。
天忍穂耳は哮峰から、猿田彦と一緒に船で茶臼山の東の海に行き大国主に会いました。

神話に出てくる大物主とは、ニギハヤヒの父の天忍穂耳。
少彦名のいなくなった後、大国主と協力して全国の国造りをした。

スサノオ族とは伯耆の国に着いた時から、知り合いなので手助けをしたと言うことになります。天穂日も大国主が小さいときから一緒で、協力者に。😁

高等生命体イザナギ、イザナミご先祖た達と、その子供たちアーリア人のスサノオ族と大国主は、
秦からの少年少女や、技術者、更には半島からの(準王一族)移民を受け入れ、それは人口を増やし、育成、食育の為でした。

その、イザナギ達の考え方を少し取り違えた感じでしょう、徐福はイザナギから葦原中津国をもらったのはこの私だと独占欲が出た‼️

徐福一行は神田神社から伊勢野の天照皇大神宮に居た。

 
ニギハヤヒは天穂日の縁結びで出雲族(準王一族)の王である、長髄彦の妹を嫁に貰いますその子供がウマシマジ。

で!ニギハヤヒが死んでから

次男であるニニギがニギハヤヒの代わりに行くことに。
猿田彦一族は蜘ヶ家山(鳥取県北栄町)に住んでいた縄文人であった。​

ウマシマジが、反対していた長髄彦(出雲族)を倒し、ニニギを受け入れて国譲りが終わります。

ニニギとコノハノサクヤミメ(豊玉姫)の子、ホホデミノミコトは辰韓に行き玉依姫と知り合った。
倭国に帰り、倉吉市大谷の四王寺山で、玉依姫との間に神武四兄弟が生まれた。

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