徐福と神話の序盤を。神として見えないものではなく、人間どおしとしての行動、宇宙との関わり。

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鳥取県には何もない!という言葉が鳥取県民から出てくるそうです。
証拠となる人間も引きずり出して公開処刑し「鳥取県には何もない」という言葉を植え付けた。

奈良時代から京都(平安)時代に宮崎県・島根県・奈良県・三重県・和歌山県に大きくて立派なテーマパークを造り、これほど大きくて立派な神社や遺跡があるのだから、

お前の言うことは嘘である、として殺していった。これが勝者の歴史作りである

奈良国立文化財研究所の研究員が、

「これ以上鳥取県で遺跡が見つからないでほしい。
古代史の定説が覆ってしまう」と言った。

しかし、鳥取県民は長瀬高浜遺跡や妻木晩田遺跡や青谷上寺地遺跡が発掘されてもほとんど無関心である。まるで古代史に触れることがタブーであるかのように。

と言う話があります。

前回の天照大神になる徐福についてですが、
徐福の日本にたどり着くコースは全国に30数箇所も伝えられています。

第1次徐福の一行

対馬海流の存在を知らず、済州島から一斉に海に出向したため、列島の各地に漂着してしまいました。なので多くの土地に徐福伝説が残っています。

徐福自身も。大山の北西の米子市陰田町に到着しました。

さまよいながらも
イザナギに会えます。
宮殿や銅色の龍形の使者がいて、光が天を照らしている(光上照天)のを見ました。

イザナギが(高等生命体)
そなたは西皇の使者かと言うので、
私が『そうです』と答えると、『そなたは何を求めているのか』

不老長寿の薬をいただきたいと存じます』と答えた。の記述あり。

それは見るだけで手に入らないと言われ、どうすればと問います。

多くの少年少女、技術者を献上せよ、さすれば不良長寿の仙薬をやっても良いと言われます。

そして徐福は、一度秦に帰り始皇帝にこの事を報告することになります。

第二次徐福の一行

あれから9年後です、徐福の一行は確実に伯耆国(ほうきのくに)渡るため、しばらく朝鮮の秦韓(新羅)に留まり、リマン海流と対馬海流を利用して日本海を渡り、伯耆国に到着。

葦原中津国でイザナギと再会し、連れてきていた少年少女を、稲作のできる葦原中津国で育てよと指示をされました。

イザナギや、スサノオ族、ツクヨミ、他の神々(縄文人)は高天原(蒜山高原)にいました。

そして目的の為、徐福一行は神々のいる蒜山を中心に周辺の山々から仙薬を探していました。

この徐福が来てから遅れて16年後に、
準王一族が葦原中津国に来てうるさくなります。準王一族とは殷王朝の末裔、箕子朝鮮(きしちょうせん)です。

箕の姓を持つ人々が殷朝から周朝にかけて中国北部に住んでおり、殷朝から周朝への時代変化とともに満州、朝鮮へと移住した。(生け贄の儀式を持ちます)

徐福は方士と呼ばれる学者でした。
その法術の中には、未来を予測する術も含まれていました。
道教では鏡を使うことによって様々な法術が身につくと言う。明照法によって自分の前後左右に設置した鏡の中で法を修する。これにより様々な神童、王女から最高級神から示現し、霊験を授けてくれる。
後に陰陽師が道術の要素を取り入れている

分身の術
一瞬のうちに千里の彼方まで行く術
雲にのり氷を含む術
これらの方術を体得すると、次には神の姿を見ることができる。
さらに修行で未来を予知できる、
更には仙人になれると言う。
この道教を使う卑弥呼は習得していた。

未来の予知迄は無理としても、高等生命体の科学力なら可能。

徐福は。イザナギ(高等生命体の女性)から、私に変わり高天原を収めよ!といわれ高天原を納めることになり、
徐福(男)ユダヤ人=アマテラスと名乗り=神話の神の治める高天原にアマテラスが降臨する。と言う神話としての作り話です。

徐福は不老長寿の仙薬を得るために来ました、
始皇帝は徐福に、

朕に忠実なら三神山にのぼり、朕に代わって王となり、秦の偉業を高めよ!と命じています。
約束どおり王となりました。報告をしてなかったため、徐福達を追って来た始皇帝の家来達が(八岐大蛇の話になります)

この高天原ですが日本には三神アマテラス、スサノウ、ツクヨミ)以前に、96神がいました。
蒜山の祭神は24神で、約1/4が祀られています。
蒜山は日本最初の首都。天都とも言えます。

その後にアマテラスとスサノオによる
うかい、がありますが宗像三女は連れてこられた徐福の一行の少女達です。

アマテラスの子供になっている男の子。
天忍穗耳、天穂日は徐福とは血が繋がっているのではなく、これも一緒に連れて来た少年達。

天忍穗耳は、関金町耳にいたので耳がつく。
天穂日は、スサノオ族と稲田姫を守るため鳥取八頭郡に入っていた。

結局三女、五男は行方不明になっていた少年少女を、徐福が探し出したという話と言うことです。🙊🙊🙊🙊

蒜山周辺の50くらいの山を、せん!
と呼びます鳥取、島根、岡山、兵庫4県合わせて50ぐらいの山を、せんと言うのが多いです。

山に関心があり山の読み方を、せんとつけたのは山に仙人がおり、
仙人の薬が山にあり、
神の仙人を追い求めていた道教の3000人余りの徐福の集団だからこそ。

なぜ蒜山高原周辺の山だけをせんと読むのか、山は鉱物や薬草が取れ不老長寿には欠かせない重要なところだからでした。

仙人の住む場所につけた。大山(だいせん)、蒜山(ひるぜん)、烏ヶ山(からすがせん)、甲ヶ山(かぶとがせん)、矢筈ヶ山(やはずがせん)

第2期の徐福達3000人は一斉でなくピストン輸送で伯耆国に集結しました。

その中の宗像三女は、徐福から選ばれた最初の巫女になりました。

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