神武天皇の足跡。からの〰️アマテラスの正体。

神武東征は、倭の国から出て、倭に帰ってきた‼️

神の孫なので、神の降臨した土地からそんなに離れるわけがない。
神の住んでいる山陰地方なのに、九州の一番したの方から出発するはずは無い。

神と神武天皇を結びつけたかっただけの作り話。

神武天皇(イワレヒコ)たち四王子は鳥取県倉吉市の四王寺山にいた。

宮崎県高千穂町の四皇子峰の周囲には何もないし遺跡もない。🤣🤣

鳥取県倉吉市の四王寺山周辺からは、
旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代の遺跡や古墳が見つかっていいます。
そして伯耆国(米子市淀江町)にも、
妻木晩田遺跡と稲吉角田遺跡の近くに
天真名井がある。うけいが行われたのは、おそらくここで。三女神がいた米子市胸形にも近い。

★天真名井(天界の井戸の事、アマテラスとスサノオが洗って、噛み砕いた場所。この水で洗った)。

前回も書きましたが、
全国から隠そうとしています。

調べられた方も、
調査に来る人にそう答えるように藤原氏に暗示をかけられていると思われる。
と言われています。
同じように否定する人物は、湯梨浜町の宮内にもいるそうです。
宮内の人物もそれ以上調べさせないよう話してくると。

偽りって、言ってるようなもので、
調べてはいけない理由が見つかりません。
みんなの歴史です。

鳥取の方にしたら天皇の子孫ばかりの土地、スサノオの子孫も入った地、
京都みたいに自慢してもいいくらいの土地ですから、明らかな情報操作。
結局、権力です。

書き換えたところは、読みが同じ別の字で変えています。単純ですが😅、
自分達も把握するのに、簡単に謎解きできるようにしたのでしょうか。朝鮮らしい。

しかも私達が感心を持って、自分達の文化や、成り立ち等調べる環境すら、作らさせなかった、ここは見事。
テレビや芸能界に意識をそらせ、日本の事より外国のファッション、華やかさを見せ、
日本は、古くさい、地味な、野暮ったい、否定するようなイメージを植え付けていった。

神武東征の始まり、
神と人との交わった話(そもそも神様と人間が一緒の土地に存在出来るのか)、不比等の創作が入っているようなので、まともには、理解しずらいです。

イワレヒコの足跡、
神武天皇(イワレヒコ)の四兄弟は鳥取県倉吉市の四王寺山(日向)から九州の平定に出発したします。
次男は新羅へ、三男は中国へ渡ります。

イツセ(長男)とイワレヒコは出雲族から九州全域を平定して、
安芸国(広島県)を通って倭国(鳥取県中部)に帰ってきますが出雲族に、占領されていました。

米子市淀江の津で、新羅(次男が作らせ)からの鉄製の武器を受取り、
船で、東郷池に入ったと思われて、

倉吉市の大平山(日下村)で、
ナガスネヒコと戦いイツセ(長男)は傷つき、木国(鳥取県智頭町)で亡くなったため、
イワレヒコは木国(鳥取県智頭町)から一度撤退します。

●津山経由で南に下ります
津山に高野神社があります
この高野神社の横に、うなでのもりがあり、美和山古墳があります。
そして蛇の伝承。

★名草邑(なぐさむら) 

日本書紀には「名草邑の女賊を誅し、佐野を越えて、熊野の神邑に至り天磐盾に登った」とある。
 

名草戸畔(なぐさとべ)
戸畔(とべ)」とは、女性首長を指す古い言葉で、「名草戸畔」とは「名草村の女性首長」という意味

津山市二宮の宇那提森(うなでのもり)で死刑にされた蛇と思われます。

津山には娘が蛇になり宇那提森(うなでのもり)に住んだという説話がある。

蛇は生贄を要求した。津山市の名草戸畔(女首長)を蛇に変えたのは藤原氏と思われる。

​津山市二宮の美和山古墳群には、
胴塚(一号墳)、
蛇塚(二号墳)、
耳塚(三号墳)がある。

イワレヒコは胴、頭、足に切断して埋めたが、

猿を退治して中山神社にいた、
崇神天皇(すじんてんのう)は古墳時代前期に、
美和山古墳群に手厚く埋葬しなおしたと思われる。
 
藤原氏は津山の名草戸畔の伝承を、
和歌山にもっていって、
3つの神社に祀り、名草姓の子孫まで創ったので、
津山の本物は蛇にして隠さなければならなかった。

名草戸畔は出雲の諸神(姻戚結婚して親戚関係になっている)であり、
龍蛇神を祀っていたので蛇とした。
蛇は足がないから、耳塚とした。
 

●そのまま下り佐野。
総社市に佐野山の地名が残っている。

●神邑 

 福山市神村町 隣接する福山市柳津周辺にはイワレヒコの伝承地が多くある。

●天磐盾(アメノイワタテ)

 福山市柳津町の天津磐境 福山市柳津周辺にはイワレヒコの伝承地が多くある。新宮市の神倉神社ではなく2字が同じ天津磐境である。

福山から岡山に海経由で、葦原中津国に再度北上を始める。

●荒坂の津 
神がいきなり毒を吐いて襲ってくる。その危機をアマテラスがタケミカヅチを通じて高倉下にイワレヒコを助ける場所。

岡山市の龍ノ口山の麓 丹敷戸畔は出雲族の姻戚の女族であり、荒神であり、龍蛇神を祀っていた。

津山から総社そして
イワレヒコはしばらく福山市を本拠地として賊(ナガスネヒコの一族)を退治し周辺の人々の心をつかんだ。

その後葦原中津国(鳥取県中部)に行くため、
海を渡って着いた「荒坂の津」は
当時近くまで海であった岡山市の龍ノ口山の麓と思われる。​​​​​​​​​​​​

高倉下(たかくらじ)が、タケミカヅチから布都御魂(ふつのみたま霊剣)
剣を、イワレヒコに献上したのは岡山県赤磐市の石上布都魂神社の地と思われる。

「この土地から深入りしてはならない。この奥には荒々しくすさまじい神々が大勢いる。天からヤタガラスを降ろしてやろうヤタガラスが道案内をするので従っていくがよい。」

イワレヒコは岡山県の旭川を北上して蒜山高原(高天原)にたどり着いた。

●イワレヒコは饒速日と同じ蒜山高原(高天原)の鏡ヶ成に立った。

やがて吉野川(岡山県の旭川)の河上に達した。

宇陀の穿邑についた。

天皇は宇陀の穿邑から巡行し、吉野(倉吉市北谷地域)についた。

天皇は宇陀の高倉山(倉吉市高城山)で国見をした。
国見丘(北栄町の蜘ヶ家山)には八十タケルがいた。
兄磯城の軍は磐余邑にあふれていた。

香久山の土を下して占った。
八十タケルを国見丘(北栄町の蜘ヶ家山)に撃った。

忍坂の室(三朝町片柴)での話
兄磯城・弟磯城の話

忍坂の道から行く。直ちに墨坂を目指し、宇田川の水をとって敵軍が起こした炭の火にそそぎ、驚いている間に不意をつけば、きっと敗れるでしょう。
鵜飼いの歌。

男軍が墨坂を越え挟み撃ちにして兄磯城を破った。

ナガスネヒコと金鵄
饒速日の子供(ウマシマジ)はナガスネヒコを殺害した。
饒速日(ウマシマジ)は部下達を率いて帰順した。
饒速日(ウマシマジ)は物部氏の先祖である。

高尾張邑の土蜘蛛を皇軍は葛の網を作って、覆い捕らえて殺した。その邑を改めて葛城とした。

高天原から葦原中津国迄は、取り戻すまでの、出雲族とのやりとりなので、少し流しましたが。
伯耆国(ほうきのくに)土地が問題なだけで、内容はかけ離れてないです。

ざっとでしたが、見てきました。
やっぱり、神が人間と同じような、時代に生きて存在していたとは考えにくいので、この書物ではアマテラス以降が、人間のように思われます。

ここで、アマテラスが人の説が出てきます。😁😁😁

日本にはご先祖からの、再生計画を生き延びたアーリア人のスサノオ族が、日本に住んでいて、今で言う(縄文人)。

他の大陸と違い、まだムー大陸の中等生命体の科学も多少残っている時代の日本、下等生命体には落とされましたが、まだ寿命も長いです。当時の科学はまだ金はいくらでも作り出せるゴロゴロと。

ただ宇宙人には、お金がそもそも無いので、金も宇宙では無価値だそうです。

他の大陸から見れば、仙人のように長生きをする国がある、黄金がたくさんある国が存在していると。それは東方の地に有ると。耳にします。

モーセは日本に神道を学びに、イエスは派遣されてヨーロッパ方面からの帰宅、(日本人のお釈迦様は、帰っては来ませんでしたが)、、。日本に来ます。

その噂を聞いた中の人物に、ユダヤ人の秦の始皇帝の嬴政(えいせい)がいます。
嬴政は、不老不死を求めこの話を信じ命令を下します。そしてその命令を受けた男が徐福という人物です。

徐福。この人が後に倭の国に渡来し、天照大神アマテラスと名乗ることになります。

残念ですが神話は崩れます。つい最近まで藤原氏の子孫によって書き足し書き足し、しているようなので、信じる方が無駄のようです。教科書はまだまだ書き直されてます。

この時代アマテラスと言う人物は地上、日本には存在していません。高等生命体の中にもいません。
霊界を造ったアマテラスさんはあとで、人間がつけた名前なので、実は別の名前。

日本にいたのは、人としてはアーリア人のスサノオ族、縄文人(混血)と実験体の生物たち。
高等生命体ヒミコ、ヒミヤ、カグヤヒメ
さんたち、大神官も導くため地上いた。

その中に他国から見たら、仙人のように見えるイザナギがいる。
また次で。

昨日の中山神社の話です。

朝から
今日は、脳ミソではなくて…

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