日本書紀の書き換え

鳥取県にはまだまだ秘密が有りそうです。目立たず隠された鳥取県。

魏志倭人伝の倭人の、倭人についてはテレビは藤原勢力に握られている。近畿説も九州説も情報撹乱するため結論は出ていても出さないスタンス。もう解っているから。

県民の方は余り主張されないし、伝承として途切れてしまっているのか、知っていても口外しないのか?

隠され黙っていますね。伝承とは公に言うものでもない、守って行くものだから、何かを支配するものでもないからでしょう。

その中に、藤原氏の日本書紀の書き換えがあるようですが、
藤原不比等による改ざんです。

日本の征服を、記念に残すための書。

鳥取県には昔、伯耆国(ほうきのくに)今の倉吉市周辺です。出雲国と因幡国の間です。

この伯耆国に、天皇が居た事をことごとく消し去る作業をしていると云うこと。

それは蘇我氏や天武天皇の出自を消すため、
百済の王族の正当性を作り上げる為に伯耆国の地名や、神社や伝承を
九州や大和等に移しました。

鳥取県北栄町にあった葦原中津国を宮崎県に持っていき、

神武天皇の兄弟四人がおられた四王寺山を、宮崎県高千穂町の四王子峰に移し、

大物主も、伊須気余理比売も溝咋姫も、奈良と茨木市に
移して伯耆国にいたことを解からないようにした。

宗像三女も米子の宗像にいたのを、
北九州に移した。
孝霊天皇がおられたこともすべて消し去り日本書紀には記載しなかった。

2代から9代までの天皇のことも書かなかった。
第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇までの「欠史八代」については、物部系海人族による政権が続いていて、
後に主流を占める秦氏系北朝皇統からは”都合が悪い”として詳細を封印された。

天孫降臨で、葦原中ツ国を明け渡した大国主命が、出雲に行ったことは書いてあるが

事代主命(ことしろぬしのみこと、大国主の子供、えびすさま)、
建御名方命(たけみなかたのみこと、大国主の子供、国譲りの時に最後まで抵抗した神様)

のことも書いてない。

不比等は、神社の祭神を書き換えたり、潰したり、神主を変えたり、新しい神社を作ったり、
新たに伝承を植え付けたり、新たな地名を創設し次々と日本の乗っ取りに奔走した。
新しく地名を付けることは簡単なことで、
役所が決めて宣言すればよいだけである。

藤原氏は
「嘘も百回言えば本当になる」
という信念を持っている。

鳥取県中部が倭国であり、北九州が倭奴国であった。
倭国は日本海沿岸(東海中)の鳥取県中部であった。

卑弥呼(孝霊天皇の皇女の倭迹迹日百襲姫)の選んだ邪馬台国は志摩国で、

卑弥呼が亡くなってからの景行天皇や豊鋤入姫(台与)の本拠地は鳥取県中部(倭国)に戻った。

伯耆国の伝承もきれいに消した。
伯耆国だけでなく、蒜山、美作国(一宮の中山神社)の伝承もである。

まだまだ有りそうです、岡山県と鳥取は改ざんされた封印の地です。

その出目をかくされた、壬申の乱の勝者で有名な天武天皇。
天智天皇(中大兄皇子)と同母弟の関係にありました。

 
天智天皇が在位している頃、
天武天皇は(大海人皇子)として、天智天皇を補佐するポジションを担っていました。また、同時に次期天皇候補でもあります。

最初は大海人皇子を次期天皇と考えていた天智天皇ですが、
息子が優秀な人物に育つにつれ、次第に心変わりをしていきます。
これが古代最大の内乱と呼ばれる壬申の乱です。

大海人皇子側が勝ちます、この時物部、蘇我、新羅(シラギ)。藤原とは違う勢力です。
藤原に都合の悪いことは、消されていきます。

そのあと
古事記・日本書紀に多くの材料を集め、またはそれに手を加えて、書物の内容をまとめる、編集も天武天皇の時。

天皇=天照大神の子孫という現代の常識は、天武天皇によって初めて体系的に整理されました。

こうして平安時代は、
日本から出ていった民が、他所で混血しながら、ユダヤ秦氏として中国経由で日本に渡来、朝鮮経由で藤原になり、支配されていきます。
縄文人である前から居たアイヌ、琉球は、日本の両端へ追いやられました。
アイヌと、琉球にはYAP遺伝子が多く見られるようです。

あのムー大陸が沈んで、神社を建てて行った、オリハルコンのある神社を、仏教を広める時に秦氏は、取り込んでいきます乗っとりが始まります。神仏習合

権力者が書き換えすることは容易い、知っているものは、殺してきた。

次は、
そのあとの源氏と平家に移って行きます。処でチンギス=ハンは、義経である説を聞かされていました。

どうも違うようです、頼朝から追われ奥州へと逃げ延びます。平泉が二人の終焉の地とされましたが、

二人は逃げ延び
北海道へ、そして二年アイヌで戦士を集め鍛え上げます。なぜ二年か?義経は静御前を、待っていました。
静御前は、囚われの身になっていて義経の所に行く事は出来ませんでした、しかもお腹には義経の子がいましたが、海で流産させられてしまいました。

義経は、あきらめ弁慶と中国へと渡ります。そしてチンギスハンとして中国を、統一していきます。ですがチンギスハンとは、弁慶とのことです。😉

義経は、あちこち骨が折れ、暴れまくるような状態ではありませんでした。弁慶が北陸を通って奥州へ逃げる際の、加賀国の、安宅の関での物語。勧進帳。
弁慶は、あの時義経をボコボコにしてしまいます、その時の傷はいえていませんでした。

ですが弁慶は、後継者に義経の子供と考えていました。
弁慶にも子供がいましたが、どこまでも義経に忠実な弁慶でした、後継者に義経の子供にします。

これをよく思わなかった、弁慶の子が反乱を起こします。
大体一代限りで、子供に能力が有るとは限りません。別の魂ですから。

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