邪馬台国の真相は、

女王卑弥呼、現代も関心があっていまだに、何処に邪馬台国は、あったか!なんてまだ言っているのに
日本の正史、日本書紀にも、古事記にも出てこないのか。🙊🙊🙊

神武天皇は日本書紀では、紀元前???
660年に橿原で即位、ということですが、
卑弥呼は倭人伝によると、2世紀中頃であり、900年も離れています。

卑弥呼の方の記録は、他国の魏(三國志の曹操の)が絡んでいるなら、ほぼ間違いがいないのですが、神武天皇の方は?😓

倭人伝に、その人の寿命はある人は百、またある人は八~九十という記事があります

倭人は春と秋を年の区切りとしている、ということで太陽暦に比べると倭人は年に2回歳をとる、ということになります。 倭人は非常に長寿である、という記事です。太陽暦でいけば40から50、それでも時代でいけば長生き?。

教科書とかだと
縄文、弥生時代の後に天皇制、の歴史。
そうしたら時代の流れがよくわからない。😓😓😓😓😓😓

卑弥呼の女王国の成立と、神武東征神話に象徴される実際の、天皇政権の成立は、どちらが先かということです。
考える必要はありません。😠

歴史的にも女王国が先で、
その後統一大和である天皇政権の成立。

高天原などの神話に比喩させて、
地上においては、
先の統治者・饒速日命(ニギハヤヒ)を立て、神武天皇(イハレビコ)は、ニギハヤヒから国を譲られたとして、日本統治の正統性があるとしました。

天皇政権の前に、曲がりなりにも女王国、という諸国連合があったのでは、
自分たちの正統性が薄れてしまいます。それゆえ古事記や、日本書紀は、
歴史から卑弥呼や「女王国」を抹殺しました。

女王から、神武天皇に変わったことであり、女王の都であった邪馬台国の名称が、
権力の継承の正統性を示すためにも、ヤマト国になり、統一大和=日本の名称になった。

それが大きな「和」と書いて、大和(ヤマト)と読む由縁だそうです。

卑弥呼の時は統一はしていなくて、連合の中のひとつの国、(連合国の盟主が邪馬台国)
盟主とは?連合の中心になる同盟の
主宰者

漢書の地理志に倭(=日本)は100国以上に別れている・・・と紹介されています。

日本の原点が卑弥呼と女王国にあることがお分かりだと思います

と言うことで、古事記も日本書紀も改ざんされています。確定。
それはどうでもいいけど、ここからはさん付け?😅

卑弥呼さんは、高等生命体第1の種族の天女属の一人です。
使命を受けていました。まずは、あなたが地ならしをして、その後男の天皇に国を譲り、下等生命体の男がやり易いように、お膳立てをしてくださいと。任務ですね😉

卑弥呼さんが、治めていたころ、
その時にまだ、ムー大陸の時のタミアラの大神官(男)の職種がまだありました。
卑弥呼さんは天皇制になっていくにはもう、用済みと言うことで、大神官の役職を無くします。
その外された人物が、民衆の中に入り浦島太郎に改名します。
彼は370年ほど生きます。???ですね🤔まだそのときは寿命が長かったのです、
(卑弥呼さんに関しては、地球上では500年ほど生きました。)
🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢🐢
浦島太郎伝説はここから来ているようで、竜宮城から浜に戻ってみれば長い年月が経っており、家もなく、禁を破って玉手箱を開けると、中から白煙が上がって老人になった」という内容です。

350年も生きると、自分以外は死んでいって、長生きした事。更にはこれでも長生きし過ぎる事にになるので、次に名前を変えたのが、今後重要になる人物。

武内宿禰(たけのうちすくね)に改名します。この後も370年ほど天皇に仕えます。

卑弥呼さんは、予定通り神武天皇からの、後の男の天皇に国を譲ります。ここが神武天皇本人か、子供かどうかは、(今のところ不明ですが)

そしてヨーロッパに宇宙船で向かいます。宇宙人ですから普通です。ぴぃーーって。🛸三3
次の任務でしょう。ギリシャ、中東圏、あの回りに菊の紋章の有るところは、卑弥呼さんの末裔になります。

弥生時代は実際はありません
弥生土器を使っていた人々も米を食べていたということが証明され、弥生時代というのがあったんだと、ただそれだけの事時代というほど大したものではなくて、韓国人のよく使う手口。全ては自分たち朝鮮から物事が始まった等と言う馬鹿げた話です。

弥生の名前が時代名として定着🤣🤣。
そして彼らは日本人の祖先であるらしい、となりました。🤣🤣🤣😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠😠そして骨や歯の形、そしてDNA鑑定、また弥生土器のルーツ探索などの研究によって、弥生人達は中国北東部や江南地域に住んでいた人々が、朝鮮半島経由で西日本にやってきて、次第に全国に拡散していったと考えられるようになっています。

縄文人達は大陸から新たにやってきた弥生人と混血したか、もしくは極端な説では絶滅させられたとさえ考えられています。というのも現在発見されている人骨の例から推定すると、縄文人比較的は彫りが深い顔で、弥生人は比較適すっきりとした顔つき。背の高さも平均すると、縄文時代後期の男性153cm、女性148cmなのに対して、西日本の弥生人は男性163cm、女性151cmであり、かなり異なっています。

と言うどうしようもない、歴史の改ざんが見られます。あの時高等生命体の管理者は、悪魔の洞窟に逃げ込んだ失敗作の赤人を全て〇〇しとけば良かったのに😑

そして日本は、朝鮮百済人の中臣鎌足、後の藤原鎌足(ふじわらのかまたり)は、日本の歴史藤原氏の始祖。

蘇我氏が専横を極めたために、
中臣鎌足らと中大兄皇子(天智天皇)
蘇我氏を倒す計画を立て、645年、蘇我入鹿を殺し、蘇我蝦夷を自殺に追い込んだ。これが大化の改新の始まり

豊璋(藤原鎌足)は、蘇我倉山田石川麻呂を無実の讒言で自殺させた上で、
その首を塩漬け(酸し)にして石川麻呂の娘の遠智姫に見せたらしい。
父の首の塩漬けを見た遠智姫は発狂して死んだ。

遠智姫は中大兄皇子の妻であったが、どうも中大兄皇子は妻の発狂を楽しんでいたらしい。 豊璋(藤原鎌足)と中大兄皇子の実像は、このような猟奇的な犯罪者だった。

日本書記が隠蔽する豊璋(藤原鎌足)と中大兄皇子の猟奇的な犯罪
日本書記は、豊璋(藤原鎌足)の末裔である藤原不比等が編集したので、 このような自分達の犯罪を隠蔽し、正当な豪族であった蘇我氏の功績を隠すために書かれた。

古事記では、蘇我氏の祖先は「武内宿禰」としているが、日本書記は、これを徹底的に無視している。

武内宿禰は、神功皇后の三韓征伐を助けた人物として昔は有名人であり、
お札の肖像にもなった。
武内宿禰の息子の蘇我石川宿禰が蘇我氏の系統になった。

武内宿禰は地方を転々としたので、地方の風土記への記述や神社の祭神としても有名,
事代主神(ことしろぬしのかみ)とかえびすさんと言う名前が一般的である。

日本書記は豊璋(藤原鎌足)と中大兄皇子の猟奇的な犯罪を隠蔽した上で、 蘇我氏を悪人扱いをして蘇我氏の先祖の武内宿禰と神功皇后を隠蔽しようとした。

こんな感じでですが。
またまだ弱い、こんなものでは無い藤原氏。
現代間で藤原氏のしてきたことを、次回に。

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